道具よもやま話

7消えた道具の町・伏見

 京都・伏見に15〜6代続いている谷口清兵衛金物店がある。大工道具館で入手した今日では使われていない古い形の鋸に、当店の刻印があり、いつの頃のものかを調べるために嘉来さんとお訪ねした。

 伏見は、豊臣秀吉の桃山城築城の頃から鍛冶の町として知られた所であり、伏見鋸が特に有名であった。江戸時代中頃、ここから会津や新潟三条、江戸へと技術が伝えられたという。

 当主の清兵衛(本名・泰通、大正3年生)さんも40才代の頃までは、鋸を造っておられたが、時代に押され、人手不足からやむなく仕事場を閉じて金物商として古い暖簾を守っておられる。戦後までは数軒残っていた鍛冶場も谷口家を最後に、伏見から鍛冶の町の名が消えて行った。  谷口家は、代々道具を造るばかりでなく、これを諸国に手広く卸す商いもされており、中屋家とともに伏見鍛冶の中核として、暖簾に残る「総本家 藤原」の文字にその辺の歴史が残っている。

 問題の鋸は、鹿児島出身の大工さんから入手したもので、当家では薩摩とは取引があったとのことで、明治維新の折には薩摩の志士たちの出入りも多く、西郷隆盛も泊まったそうである。この鋸もその頃からの因縁かも知れない。帰り際に当家に残った最後の古い鋸1丁をいただいた。

この読み物は、当館の開館1年前(1983年)に大工道具館設立の意義を広く伝えることを目的に、元副館長・嘉来國夫ならびに元館長補佐・西村治一郎の2名が主となり、「道具・よもやま話」と題して竹中工務店社報(1983年発行)に連載したものを、改めてここに転載したものです。20年以上前の記述のため、古くなった内容もございますがご容赦下さい。