飯食(はんぐい)  昔は、鍛冶の町・三木では男の半数近くは刃物・道具に関わった仕事につく運命にあったとのことである。小学校を出ると、まず鍛冶屋の店に見習奉公に行かされた。まだ幼い子供である。力仕事は先のこと、もっぱら掃除、子守りや雑用に明け暮れた。それでも、誰も教えてくれなくても、知らず知らずのうちに仕事の手順はわかってくる。
 17才頃になって、ようやく体ができてくると20才の兵隊検査までが仕事場で技術を覚えていく時代である。見よう見まねで一つ一つ基本を体で覚えていく。無事兵役を終えて親方のもとに戻って、お礼奉公を1年位勤める。
 それからがいよいよ一本立ちの道を求めての修業となる。一人旅・各地の鍛冶屋の有名な親方のもとに身を寄せて学ぶ。これを飯食(はんぐい)と言ったそうだ。やがて炉脇のふいごの座に坐る親方になることを夢みて。。
 

この読み物は、当館の開館1年前(1983年)に大工道具館設立の意義を広く伝えることを目的に、元副館長・嘉来國夫ならびに元館長補佐・西村治一郎の2名が主となり、「道具・よもやま話」と題して竹中工務店社報(1983年発行)に連載したものを、改めてここに転載したものです。20年以上前の記述のため、古くなった内容もございますがご容赦下さい。

腕・刃物・砥石

親子鍛冶

無銘の作品

飯食(はんぐい)

名を許す

三木の千代鶴貞秀さん

消えた道具の町・伏見

前挽大鋸の終焉

気違いの遊び

千代鶴と江戸熊

木肌を愛する心

木を生かす