日時 | 9月15日(土)13:30〜16:00 |
見学先 | 三溪園 臨春閣、聴秋閣、春草廬(横浜市中区) |
まだまだ暑さの残る日となりましたが、心配されていた雨にも降られず、35名の方にご参加頂きました。
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(現在、重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟)
東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年(明治35)頃から造成が始められ、1914年(大正3)に外苑、1922年(大正11)に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
(施設解説は三溪園ウェブサイトより転載しています)
今回は、通常内部が非公開となっている臨春閣、聴秋閣、春草廬の見学を行いました。
臨春閣 【重要文化財指定】 1649年(慶安2年)建築
桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿(いわでごてん)ではないかと考えられています。内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。
部屋の境にある欄間には、波の彫刻(第一屋)や、和歌を書いた色紙(第二屋)をはめ込むなどの工夫が凝らされています。
なかでも面白いのは、第三屋「天楽の間」にある欄間で、ここには、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれています。
内部が公開される時でも二階まで見学できる機会は滅多にないそうです。今回は特別に上がらせて頂き、都会の中にあるとは思えない環境の中、計算され尽くした絶景を見ることができました。
聴秋閣【重要文化財】1623年(元和9年)建築
徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物。各部の意匠は独創性・変化に富みますが、書院造としての格や茶亭としての機能に応じて緻密に構成されています。この建物は江戸時代の武士 佐久間将監(さくましょうげん)の作と伝わります。
L字型の一段下がった杢板敷きの入口は舟で漕ぎ着ける場を想像させ、当初は水辺に面して建てられたのかもしれません。江戸時代はじめの上流武士階級の風流な文化が伝わります。
春草廬【重要文化財】桃山時代建築
三畳台目(さんじょうだいめ)の小間茶室は、織田有楽斎の作品と伝えられています。
春草廬は、茶室内に九つの窓があることから、かつて"九窓亭"と呼ばれていました。 多くの窓を持つもので、華やかな茶室です。
写真撮影/光齋昇馬