三木の千代鶴貞秀さん  三木の千代鶴貞秀さんの所には数回お訪ねした。貞秀さんは今年75才、鉋作り一筋に60余年になる、昨57年には黄綬褒賞を受けられた。叙勲の日には東京まで這ってでも行きたいと喜んでおられたが、突然病に倒れ、暮れに入院されてしまった。
 貞秀さんは、−見気難しそうに見えるが、仕事を離れると好々爺である。鍛冶屋さんは朝が早い。午後の3時頃には打ち上がる。
「仕事を終えて、うまい物を肴に一杯やるのが何よりの楽しみ。飲んだら寝るだけ。他には何の趣味もないよ」と、まことに屈託ない。「だけど、こう歯が抜けちゃっては食う楽しみもお仕舞いだ」と笑っている。到来物だけれど、まだ一杯残っているからと、わざわざ取り出してくれたのが、幻の酒“越の寒梅”だった。
 東京の銀座に“更科”というそば屋さんはまだあるのかと聞かれた。
「東京に初めて行った頃、是秀師匠にご馳走になったあの“そば”の味が忘れられなくて、二度目には一人で行ってみたけれど、“もり”か “かけ”か、どう注文したらよいのかわからなくて、周りの人が注文するのを見ていて、やっと頼めたよ」と笑う。
 それからは私も酒の肴などを持って行ったら、飛び切りおいしい“じゃこ”の干物をお返しにいただいた。正月まで残しておいて作った“ちんから”の味は格別だった。。
 

この読み物は、当館の開館1年前(1983年)に大工道具館設立の意義を広く伝えることを目的に、元副館長・嘉来國夫ならびに元館長補佐・西村治一郎の2名が主となり、「道具・よもやま話」と題して竹中工務店社報(1983年発行)に連載したものを、改めてここに転載したものです。20年以上前の記述のため、古くなった内容もございますがご容赦下さい。

腕・刃物・砥石

親子鍛冶

無銘の作品

飯食(はんぐい)

名を許す

三木の千代鶴貞秀さん

消えた道具の町・伏見

前挽大鋸の終焉

気違いの遊び

千代鶴と江戸熊

木肌を愛する心

木を生かす